人前で話すことの意味(デブサミ2020夏「トランスフォーメーション・ジャーニー」)
デブサミ2020夏に登壇しました。
思い返すに、2020年2月にデブサミメインが開催できたのは僥倖というべきなのでしょう。あの後コロナ感染が激増し、世の中の状況は一変してしまいました。デブサミというのは通常のカンファレンスやイベントと違って、大掛かりなので年単位で企画したり準備をしている、そう思うと既に2021年2月の開催がどうなるか心配ですね。来年はメインもオンラインになるかもしれませんね。
そう、今回のサマーはオンライン開催。登壇者は事前収録に臨んだわけです。これがやはりメリデメ両面あります。メリットは、時間の制約がゆるくなること。当日も、特定の場所に居合わせるということが不要になります。事前に収録するので、やり直し撮り直しもできます。私も、実はテイクを重ねています(自宅で収録しました)。
一方、デメリットもあります。これはその人の性格にも依るのでしょうけども、私は誰かが顔を見えなくてもリアルに聞いていて、基本的にやり直しがきかない、という状況の方がやりやすく感じてしまいます。
私にとって、人前で話すとは、その時その時、一瞬の勝負ごと。その時にかけて、事前に何度も練習もするし、話す直前までテンションをあげて、あげてきって、ちょっとネジの1本や2本を飛ばして話す、くらいでようやく人前で話せるくらいのクオリティになります。
思うに、講演そしてそれを聞くとは、お互いの二度と帰らない時間を提供しあうということなのです。相手の時間を預けてもらう。大げさにいうとそれは相手の人生を預かるということです。そこまで捉える必要があるかどうかという問いは私にとっては不要で、そのくらいの思いで臨まないとろくに話せないし、自分自身にがっかりしてしまうわけです。
ですから、事前収録しておいて、それを流すというのは、いつものクオリティの半分くらいという感じ。もちろんメリットも大きいので、このやり方がもっと増えても良いと思います。ですが、私自身は、きっと一人で収録、やり直し何度でもOKというのは今後やらないだろうと思います(今回も収録場所の提供があったのですが、仕事の制約もあり指定の場所に行けず。そうしておけばよかった)。
というわけでお話したのはこちら
*1:オンライン通話で、リアルタイムのコミュニケーション