社内勉強会の開催の難しさ。
社内勉強会は、2月16日で、4回目となった。
4回目は、改めて勉強会のテーマを決める回とし、事前に
告知も行った。
しかし、案に反して人は集まることはなかった。
むしろ過去最小の人数で開催することになってしまった。
その事実を突きつけられ、私は考えさせられた。
私が、社会に出て2、3年目の頃は、丁度勉強会みたいな
ことをやってみたいと思い始める頃だった。
目の前の仕事は、概ねこなせるようになった。
ただし、同じような仕事ばかりやっていた。
自分の仕事は、雑誌に出てくるような技術を使うことは
全くない。
すると、やっている仕事がひどく時代遅れで、自分が最新の
技術や潮流から取り残されていないか、心配になった。
その結果、自分で新しい技術を勉強するように努めるようになる。
それだけでなく、誰かとそのことを共有したいと思った。
誰かに自分の勉強したことを聞いてもらいたかったのかもしれない。
しかし、気に良い同僚はいたものの、「勉強会をする」という
雰囲気は、全く無かった。
そういうことをする風土が無かった。
だから、そんなことを言い出すことはとてもできなかった。
「勉強会?社会人になっても学生みたいなことを言うんやな。」
あの頃、誰かが、こう言ってくれたら、私はどれだけ興奮しただろう。
「勉強会、やろっか。何、する?」
それから数年が経ち、所属する会社も変わった。
私は、今度こそ、勉強会をやろうと思った。
勉強会をやってみたいと思った。 - papandaDiary - Be just and fear not.
あの頃の私のように、思いを秘めている若い子もきっといる。
あるいは、経験豊富なベテランさんが、過去の教訓を
語ってくれるかもしれない。
私は、期待した。
勉強会という「場」が、きっと良い雰囲気を醸し出してくる、
そんな期待をしていた。
その期待は、どうやら、空振りに終りそうだ。
そのことに気付いたとき、とても残念な気持ちに襲われた。
しかし、それは、それで仕方がないことであるし、それでも
良いではないかと思い始めている。
人数は少ない。しかし、逆に、意識の高い参加者がいることに
違いはない。切磋琢磨できれば、それで良いじゃないか。
「場」の提供は既にしているのだ。参加するしないは全くの自由。
「しまった!参加しておけばよかった!」
と思う人が出てくれば、しめたものだ、ぐらいに思っている。