The Dragon Scroll

Be just and fear not.

憧憬と共感のはなし

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 人が自分ではない他者からの影響を受けて具体的な行動を起こすには、2つの感情が湧いているような気がする。それは、憧憬と共感。つまり、「ああ、なりたい」という憧れ。ただ、この憧れだけでは、「あれはあの人だから出来ること」で終わる。勉強会やカンファレンスに行って、遠く前で話をしているエライ人を眩しく見つめて終わる。一方、憧憬とともに、「あの人もそうあるために、トライしているんだ」といった、彼の人の姿勢に対する共感が生まれると、自分の行動に繋がるような気がするのだ。何よりこういった感情と行動の関係は身を以って経験をしてきた。

 8月、ダラスに渡る前に、グラグリッドさんを訪問した。グラグリッドさんは、UXデザインやグラフィックファシリテーション、ビジネスモデルのプロトタイピングをサービスとして提供されている。こちらの代表の尾形さんとは、とある機会でほんの少しばかり話をすることがあった程度で、単身訪ねていくほど強い繋がりがあったわけではない。

 なぜ、尾形さんに会おうと思い立ったか。仕事もコミュニティの活動も忙しい中で、それでも尾形さんに会いに行きたいと思ったのには、尾形さんに対する憧憬があったように思う。いや、その時はそこまでの感情はなかった。そうではなく、期待があったのだ。自分には無い、グラグリッドに行けば何かが見つかるような気だけがしていた。会社もコミュニティも充実した時間を過ごしている。それでも何かを見落としている気がしてならなかった。それは、今思えば、自分の外にあるものへの過度な依存、この依存に対する恐れだったのかもしれない

 尾形さんは、三澤さんとお二人でグラグリッドの運営をしている。起業するまではユーザビリティにまつわる仕事を手がける会社に在籍されていたとのこと。2011年にグラグリッドを設立されている。起業という、自分で全て背負って生きていく道を選んだ、尾形さんの強さに、私は憧憬を感じた。しかも、尾形さんと私の年齢はあまり変わらない。同年代の方の起こした行動の強さが、純粋に逞しいと感じられた。

 グラグリッドさんが手がけるビジネスモデル・プロトタイピング・センター「カミヒコウキ」は実にユニークだ。フューチャーセッションという対話を中心として、コミュニケーションでビジネスモデルを探っていく。フューチャーセッションは、私のマスターの一人、野村恭彦さんがこの数年普及を進めている、問題解決のための対話の場のことだ。尾形さんは、そのフューチャーセッションを応用して、「カミヒコウキ」を提供している。フューチャーセッションは、私も推し進めたいと考えている概念であり、それを中心に据えたアプローチに、強く共感をした。

 人は、日常においては無意識のうちに自分の手の届く範囲内で生活を収めようとしているかもしれない。日常では出会わない人の方を向いて、話をすることはパワーが要る。だが、それを乗り越えたとき、やはり、得難い何かがあると思う。私は、尾形さんと話をしたのち、意図的に人と会うようにした。LeanStartupJapanの和波さんであったり、学習パターンの井庭先生、エクスペリエンスビジョンの山崎先生。いずれの方も、強いメッセージをくださった方々。様々なご協力を頂いていて、感謝しております。そして、私の小さな世界を開く切欠をくださった尾形さんに。

 さて、私が感じていた恐れについては、ダラスに渡り、帰国してからすっかり変わってしまった。その話については、また別のところで。

Ultimate Agilist Tokyo で The Art of Agile Project Managerの話をします。

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 11月17日のUltimateAgilistTokyoでは、The Art of Agile Project Managerというタイトルでお話をさせて頂きます。タイトルは、アート・オブ・アジャイル デベロップメント ―組織を成功に導くエクストリームプログラミング (THEORY/IN/PRACTICE) から。The Art of Agile Project Managerという書籍があるわけではないので、あしからず。お話の元ネタは、9月7日に発表した、PMシンポジウムのものをベースにする予定です。PMシンポジウムでは、2時間30分(!)喋り倒すべく、200枚を越えるスライドを用意しました(スライド未公開)。ちなみに、PMシンポジウムでも同タイトルで、Agile開発のPMに求められること、についてお話を致しました。あちらのカンファレンスでは、Agileとは?から始めたので、多くの言葉を必要としましたが、今回のUltimateAgilsitTokyoでは、そのあたりの導入はばっさり省き、核となる部分について、より突っ込んで話をしたいと思っています。

 プロジェクトを始めるには、入り方があります。例えば、はじめてのステークホルダーとプロジェクトを始める場合、お互いがどういう期待を持っているか分からないものです。開発チームには、開発チームのやり方があり、そのやり方が今回のプロジェクトでも取れるか、適していのるかどうか最初は分かりません。それは逆もまたしかりで、そのプロジェクトにソフトウェア開発に詳しくない、ビジネス企画やプロダクトオーナーが居るとしたら、彼らもまた、今回のソフトウェア開発に何をどこまで期待できるのか分からないものです。互いの期待が分からないままに、プロジェクトを始めることで、後になって「話が違う」となるのはよくあることです。難しい問題ですね。

 テラフォーミングという言葉があります。"人為的に惑星の環境を変化させ、人類の住める星に改造すること(Wikipediaより)"という考え方。同じことがソフトウェア開発のプロジェクトでも言えるように思います。私たちがプロジェクトを始められるようにプロジェクトを地ならしする時間が必要です。互いの期待をメンテナンスする、期待マネジメントは、プロジェクトのフォーミングに必要な主要タスクと言えるでしょう(ひとことふたことの言葉にするほど決して簡単ではないのですが)。詳しくはUltimateAgilistTokyoにてお話します。

 ご参加はこちらから。

Your Mind is the Scene of Development.

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 お客様先で、インセプションデッキを作ろうとして、西村直人さんに「そのままやったら事故るで。」と言われたのは、ちょうど1年前のことだったと思う。西村さんのインセプションデッキ作りを目の当たりにして、そのファシリテーションの難しさと得られる効用を同時に理解したのだった。あれから、1年さまざまな局面でインセプションデッキを作ってきた。デッキ作りを重ねることで、いくらかの知見も得られた。

 インセプションデッキを始める際の助言として、「本番前に失敗しておくこと」があげられる。本番は本番なのだ。数少ないチャンスを活かすために、本番では結果を出すことが求められる。だから、現場で実践する前に、社内やコミュニティで練習をしておくことを推奨するのだ。事前に手間をかけた分は本番できっと活きてくる。

 インセプションデッキでひとことふたこと話せることも出てきたかなというところで、件の西村さんから、スクラム道の登壇を依頼された。西村さんはおそらく日本で一番インセプションデッキを作ってきた人なので、それをさしおいて話すことは何もないのではないかと思った。ただ、冒頭のとおりの経緯があって、私はここまでやってこれた事を思うと、ひとつのささやかなお礼になれば良いなと感じた。そうして、スクラム道に出させて頂くことを決めた。

 タイトルのYour Mind is the Scene of Developmentは某映画のキャッチコピーから。今日の話のメイントピックはステルスデッキになる。もともと、社内では"受注前インセプションデッキ"と呼んでいたのだけど、ぜんぜんセクシーではないので、今日のために考えてきた名前。受託開発ならば、契約前に。サービス開発なら予算確定前に、デッキを作り、目的に適した制約を作ることが狙い。もともとのアイデアは、角谷さんから。社内の有志と議論しながら、実践で練ってきた。角谷さんと同僚に感謝。
 発表後の参加者同士の議論の場でも話をしましたが、シチュエーションは人、現場それぞれなので、必要とする工夫もまた、それぞれです。どういう時にどんな工夫が取れるのか、共有や議論をしていきたいですね。そのために、スクラム道や他のコミュニティがあるわけなので。西村さん、スタッフの皆さん、どうもありがとうございました。スクラム道は、とても意義のある場だと思います。

日本にも10年かけて育ってきた、"Agile"がある。

 2012年8月、Agile2012に参加してきました。Agile Conferenceはその名のとおりAgileをテーマとしたカンファレンスで、世界中から参加者が集まるグローバルなカンファレンスです。書籍の中でしか会えないと思っていた著名な方々も多数集まる。スコット・アンブラー、ジム・ハイスミスメアリー・ポッペンディーク、ヘンリック、エトセトラエトセトラ。いずれも、最高のヒーローたちだ。そう、Agile Conferenceは、Agileのアベンジャーズが集まる場なのだ。そういう人たちが、たいていセッションを持っていて、成果や新しい発見について披露する。参加者は、5日間さまざまなAgileストーリーに浸かることになる。極上の時間だ。

 会期中のセッションやカンファレンスの様子についてはManasLinkのレポートページで確認することができる。今回、私は、藤原大伊藤さん及部くんとレポートチームを組んで、カンファレンスに参加した。私のレポートも数本だが上がっている。

 

Leanがビジネス価値を駆動する

参加セッション: Scaling Agile with Multiple Teams: Using Lean to Drive Business Value

スピーカー: Alan Shalloway

へんりっくのかんがえたさいきょうのかんばん

参加セッション: Lean from the Trenches: Managing Large Scale Projects with Kanban & Scrum & XP

スピーカー: Henrik Kniberg

Legacy MindsetからLean-Agileへ

参加セッション: Scaling Lean|Agile Development to the Large Enterprise with the Scaled Agile Framework

スピーカー: Dean Leffingwell

 

 さて、Agile2012の開催地ダラスから帰ってくると、自宅にある小冊子が届いていた。差出人は、大阪の細谷さんだった。冊子は、私も寄稿しているUltimateAgileStroyという自費出版物だった。細谷さんが編集長を務め、複数人の記事を集めた、Agileをテーマとしたアンソロジーだ。今年は2巻目になる。

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 一読、感想として抱いたのは懐かしさだった。この冊子に出てくる執筆者には、私が5〜6年前にコミュニティで出会い、今はほとんど会うことがなくなってしまった方々が多く含まれていた。会わなくなった理由は、単純にお互いに忙しいということと(本当に忙しくなったと思う!!)、出会うきっかけ、場が無いからだ。Agileに関するコミュニティや場は、昔に比べて大いに増えた。ところが、彼らと顔を合わせるような場は、いつの間にか無くなっていることに、私は本を読み終えて気づいたのだった。

 文章で、彼らの考えていることを垣間見て思った。互いの考えや活動について、せめて1年に1回くらい、伝え合うことがあっても良いのではないかと。おそらく、自然に遭遇することを待っていても、その確率は低い。場がないならば、作るまで。すぐに、細谷さんに一筆、提案のメールを送ったのだった。8月20日のことだったから、本当に帰国してすぐに思い立ったのだ。日本の活動家たちが集まる場を作ることを。

 活動家たちが、1年に1回集まり、各々の成果や新しい発見について語り、互いに交換する。そこで語られる言葉は、現場で磨かれた本物の言葉だ。大いなる刺激と誉れが得られることだろう。そして、また、現場、自分のフィールドへと戻り、自分の言葉に対するフィードバックを活かす。そう、これが私の目に写ったAgile Conferenceの姿だった。Agile Conferenceのような場を日本でも開きたかった。

 UltimateAgileStoryの執筆者の中から、この場への登壇をオファーした。場のコンセプトをお伝えすると、日程的にご都合のつかない方を除き、オファーした全ての方から快諾を頂いた。後から考えると、これは凄いことだと気づいた。この場は、全く新たに作る場になる。まだ、一度もカタチになったことがないのだ。そういう未だ概念のものに、乗ってやろうではないかと、言ってもらえた。本当にありがたいことだった。

 ひととおり、セッションテーブルを組み、予算を検討し、企画書をまとめたところで、藤原にそれを見せた。藤原に企画書を見せた理由は2つあった。1つは、Agile2012でかなりの時間を共有した藤原がこの場を見てどういう反応を示すか確認したかった。もう1つは、彼が私をAgile2012に連れて行った経緯にある。AgileConferenceは毎年行くかどうかの逡巡を繰り返している。彼の強力な後押しがなければ、おそらく私は今回もスルーしていたことだろう。その彼に、AgileConferenceに行って帰ってきた私の行動として、この企みを知ってもらいたいと思ったのだ。この企画書を読んだ藤原は、この企みの実行に手を貸すと言い出した。こうして、UltimateAgilistが集まる場が、実現に向けて加速し始めることとなった。

 そして、我々は、この場に、UltimateAgilistTokyoと名付けた。

http://ultimateagilist.doorkeeper.jp/events/1823

 ぜひ、この場を訪れてみて頂きたい。そこには、日本が10年育ててきた、Agileがある。

esm is community

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(Photo by kakutani)

 3月24日、AgileSamurai Dojo Gatheringが開催された。書籍アジャイルサムライについて、全国各地で開催されている"道場"と呼ばれる読書会/勉強会が一同に会するのが、Dojo Gatheringの趣旨。今回はスポンサー枠があり、永和システムマネジメントの者として話をしました。各スポンサーが、現場開発にて取り組んでいること、PRしたいことを披露できる時間なわけだけど、実際に務めてみるとなかなか難しい。通り一辺倒な宣伝ではつまらない。聞き手に何か伝わらなければ、こちらとしても面白くない。「永和システムマネジメントのおけるアジャイルな開発」の紹介が軸なのだけど、視点として出来るだけ内側より外に立って(幸い、こちらはまだ入社半年の身)、見せ方を作ったつもり。

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 (スライドはこちら)

 3月はジョナサン来日以来、ほぼ日でセミナーや勉強会、何らかの企画が開催されていたのだった。私もありがたいことに、大阪のアジャイルジャパン、アジャイルサムライトレーニングと、貴重なジョナサンの話を聴くことが出来た。大勢の日本人に囲まれて、言葉が思うように伝わらない状況下に関わらず、いつも、パッションを分けるように熱心に話をしてくれた。そのことに感謝がしたくて、英語はよう喋らないにしても、せめてスライドはとEnglishで構成した。少しでもジョナサンにお返しできたら、こんな嬉しいことはない。ところで、ESM in a nutshell? に対して Master Five!! の打ち出しに会場から殆ど手応えが無かったのは少し心配。アジャイルサムライとあわせて観たい > カンフーパンダ

 「スライドの最後の1枚は、最も長くプロジェクタから投影される1枚なので、自分がもっとも伝えたいことを持ってくるべき」という教えに従い、今回持ってきたのは、「esm is community. act as a member of community.」上野にある永和システムマネジメントとは一体何なのか、に対する自分の応え。当たり前だが、どんな組織にも良いところと課題はある。良いところをもっと良くする、課題をひとつひとつ倒していく、そのために必要なふるまいは、そのコミュニティによって異なる。そのコミュニティの一員としてのふるまいを続けていければ、自ずと、望むカタチになっていくはずだ、自分も、組織も。

王様のスープ

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デブサミ2012のセッションランキングが公開された。

デブサミ2012アワード

 トップが角谷さん、2位がまつもとさん、3位平鍋さん、4位自分戦略、5位藤原さんのランキングになっている。また、満足度ランキングでは、6位に野村さんと一緒に作ったセッションがランクインしている。アワードの順位はセッション来場者数×来場者の評価で並べられたもの。今回の角谷さんのセッションの来場者数は、デブサミ10年で過去最高だったらしい。 この結果をみて、少しばかり感慨に浸ったのだった。私にも、先人が作ってきた大事なデブサミというスープを引き継いで、王様のスープとして煮立てることができたのだ、そう思うと込み上げるものは、少なくない。

 角谷さんは既にデブサミ2010で最終回を迎えていたので、最初から簡単には引き出せないと思っていた(これは平鍋さんも同じだ)。和田さんの援護射撃もあって、担ぎだすことに成功したのだけど、よく引き受けて頂けたなと思う。私がかつて衝撃を受けたように、多くの人にもう1度その機会を作りたい、なにしろ今回のデブサミは(10回目という)特別なデブサミなのだ。そういう御旗があったから出来たわけだが、私には角谷さん本人にも伝えていない、もう1つの思惑があった。角谷さんの話を同じ会社の人たちが聴ける機会を作りたいと思ったのだった。私には、それが必要なタイミングだと思えた。Agileな開発を突き進むならば、組織もまた自ずとAgileであるはずだ。上野の会社も変わりゆく過程の中にあり、そのために必要なことと感じたからこそ、私はどうしても願ったのだった。(個人的な思惑、かもしれない。だが、コンテンツ委員として果たすべきことを踏まえた上での思惑なのだ。許して欲しい)

 平鍋さんにオファーをした時は、既に参加募集も始まっていて、ぎりぎりのタイミングだった。おそらく多くの他の人と同様に、私も平鍋健児という人と出会ったからこそ、変わりえたと感じることをいくつも挙げることができる。平鍋健児はプロペラ帽を被ったHEROだ、今でも。ところが平鍋さんもデブサミを卒業して久しい。XPやPFという分野で馴染みのある平鍋さんの話を聴ける機会は減っている。一方で、毎年ソフトウェア開発を生業として、この領域の門戸を叩いてくる人が大勢いる。自分がかつて味わった体験を、これからの人たちにも届けたい、それが出来るのは平鍋健児本人しかいない。これが平鍋さんをデブサミに再び召喚した狙いだった。

 藤原大という男と出会った時のことを覚えていない。海岸沿いのServicerに入ることを決めて、よしおかさんと青物横丁で飲んだときかもしれない。その時の出会いがまさか今日にまでこんなカタチで続くとは思いも寄らなかった。私が海岸沿いから辞するとき、心残りだったのは、藤原大とともに仕事を成し得なかったことだ。それは会社を辞める、最後の日にも感じたことだった。藤原大と自分の共通点は3つある。同年齢であること、大阪出身であること、クレイジーであることだ。クレイジー、彼のその部分には、どうしようもなく惹かれる

 デブサミのオファーをする際は、2011年末にDevLOVEで話してもらうことが決まっていたため、ひどく迷った(私が彼の立場なら、もうちょっと考えてよって言うね)。しかし、彼の話を聴いた人はきっと分かると思うのだけど、彼の話にもまた彼にしか込められない凄味があるのだ。栄え、滅び、そしてまた芽吹いたアジャイルの話なんて他に誰が出来る?Z旗だぜ?

 やたら寒い江ノ島への道を、彼と歩いたときのことが忘れられない。どういうテーマにするか、相談しようといって出かけてみたものの、特に大した話もせず、江ノ島を往復したのだった。 ひょっとしたら彼は私にはめられたと思ったかもしれない。

 プレゼンに練習はつきものだ。せめてゴムのアヒルちゃんくらいの役割は果そうと、雪が降る中、藤原大に上野に来てもらい、話を聴かせてもらうことした。話を聴いて、かつて、自分がデブサミで話すときにこうやって話を聴いてもらったことがあったっけ、その時も雪が降っていたことを思い出した。

 かつて、石のスープだったデブサミは、多くの人が具材を持ち寄り王様のスープとなっていった。かつて、自分は石だと言い放った人に、王様の具材として戻ってきて頂いた。平鍋さんにも、藤原さんにもとても感謝している。また、もう1つ別のセッションを一緒に作って下さった野村さんにも感謝(この物語はまた改めて)。私には、このランキングが自分のことのように誇らしい。なんだ、当たり前じゃないか、お前が揃えたのはもともと王様の具材ばかりじゃないか、そう言われるかもしれない。だけどね、鍋に入らないとスープにはならないんだよ。