The Dragon Scroll

Be just and fear not.

日本にも10年かけて育ってきた、"Agile"がある。

 2012年8月、Agile2012に参加してきました。Agile Conferenceはその名のとおりAgileをテーマとしたカンファレンスで、世界中から参加者が集まるグローバルなカンファレンスです。書籍の中でしか会えないと思っていた著名な方々も多数集まる。スコット・アンブラー、ジム・ハイスミスメアリー・ポッペンディーク、ヘンリック、エトセトラエトセトラ。いずれも、最高のヒーローたちだ。そう、Agile Conferenceは、Agileのアベンジャーズが集まる場なのだ。そういう人たちが、たいていセッションを持っていて、成果や新しい発見について披露する。参加者は、5日間さまざまなAgileストーリーに浸かることになる。極上の時間だ。

 会期中のセッションやカンファレンスの様子についてはManasLinkのレポートページで確認することができる。今回、私は、藤原大伊藤さん及部くんとレポートチームを組んで、カンファレンスに参加した。私のレポートも数本だが上がっている。

 

Leanがビジネス価値を駆動する

参加セッション: Scaling Agile with Multiple Teams: Using Lean to Drive Business Value

スピーカー: Alan Shalloway

へんりっくのかんがえたさいきょうのかんばん

参加セッション: Lean from the Trenches: Managing Large Scale Projects with Kanban & Scrum & XP

スピーカー: Henrik Kniberg

Legacy MindsetからLean-Agileへ

参加セッション: Scaling Lean|Agile Development to the Large Enterprise with the Scaled Agile Framework

スピーカー: Dean Leffingwell

 

 さて、Agile2012の開催地ダラスから帰ってくると、自宅にある小冊子が届いていた。差出人は、大阪の細谷さんだった。冊子は、私も寄稿しているUltimateAgileStroyという自費出版物だった。細谷さんが編集長を務め、複数人の記事を集めた、Agileをテーマとしたアンソロジーだ。今年は2巻目になる。

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 一読、感想として抱いたのは懐かしさだった。この冊子に出てくる執筆者には、私が5〜6年前にコミュニティで出会い、今はほとんど会うことがなくなってしまった方々が多く含まれていた。会わなくなった理由は、単純にお互いに忙しいということと(本当に忙しくなったと思う!!)、出会うきっかけ、場が無いからだ。Agileに関するコミュニティや場は、昔に比べて大いに増えた。ところが、彼らと顔を合わせるような場は、いつの間にか無くなっていることに、私は本を読み終えて気づいたのだった。

 文章で、彼らの考えていることを垣間見て思った。互いの考えや活動について、せめて1年に1回くらい、伝え合うことがあっても良いのではないかと。おそらく、自然に遭遇することを待っていても、その確率は低い。場がないならば、作るまで。すぐに、細谷さんに一筆、提案のメールを送ったのだった。8月20日のことだったから、本当に帰国してすぐに思い立ったのだ。日本の活動家たちが集まる場を作ることを。

 活動家たちが、1年に1回集まり、各々の成果や新しい発見について語り、互いに交換する。そこで語られる言葉は、現場で磨かれた本物の言葉だ。大いなる刺激と誉れが得られることだろう。そして、また、現場、自分のフィールドへと戻り、自分の言葉に対するフィードバックを活かす。そう、これが私の目に写ったAgile Conferenceの姿だった。Agile Conferenceのような場を日本でも開きたかった。

 UltimateAgileStoryの執筆者の中から、この場への登壇をオファーした。場のコンセプトをお伝えすると、日程的にご都合のつかない方を除き、オファーした全ての方から快諾を頂いた。後から考えると、これは凄いことだと気づいた。この場は、全く新たに作る場になる。まだ、一度もカタチになったことがないのだ。そういう未だ概念のものに、乗ってやろうではないかと、言ってもらえた。本当にありがたいことだった。

 ひととおり、セッションテーブルを組み、予算を検討し、企画書をまとめたところで、藤原にそれを見せた。藤原に企画書を見せた理由は2つあった。1つは、Agile2012でかなりの時間を共有した藤原がこの場を見てどういう反応を示すか確認したかった。もう1つは、彼が私をAgile2012に連れて行った経緯にある。AgileConferenceは毎年行くかどうかの逡巡を繰り返している。彼の強力な後押しがなければ、おそらく私は今回もスルーしていたことだろう。その彼に、AgileConferenceに行って帰ってきた私の行動として、この企みを知ってもらいたいと思ったのだ。この企画書を読んだ藤原は、この企みの実行に手を貸すと言い出した。こうして、UltimateAgilistが集まる場が、実現に向けて加速し始めることとなった。

 そして、我々は、この場に、UltimateAgilistTokyoと名付けた。

http://ultimateagilist.doorkeeper.jp/events/1823

 ぜひ、この場を訪れてみて頂きたい。そこには、日本が10年育ててきた、Agileがある。

esm is community

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(Photo by kakutani)

 3月24日、AgileSamurai Dojo Gatheringが開催された。書籍アジャイルサムライについて、全国各地で開催されている"道場"と呼ばれる読書会/勉強会が一同に会するのが、Dojo Gatheringの趣旨。今回はスポンサー枠があり、永和システムマネジメントの者として話をしました。各スポンサーが、現場開発にて取り組んでいること、PRしたいことを披露できる時間なわけだけど、実際に務めてみるとなかなか難しい。通り一辺倒な宣伝ではつまらない。聞き手に何か伝わらなければ、こちらとしても面白くない。「永和システムマネジメントのおけるアジャイルな開発」の紹介が軸なのだけど、視点として出来るだけ内側より外に立って(幸い、こちらはまだ入社半年の身)、見せ方を作ったつもり。

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 (スライドはこちら)

 3月はジョナサン来日以来、ほぼ日でセミナーや勉強会、何らかの企画が開催されていたのだった。私もありがたいことに、大阪のアジャイルジャパン、アジャイルサムライトレーニングと、貴重なジョナサンの話を聴くことが出来た。大勢の日本人に囲まれて、言葉が思うように伝わらない状況下に関わらず、いつも、パッションを分けるように熱心に話をしてくれた。そのことに感謝がしたくて、英語はよう喋らないにしても、せめてスライドはとEnglishで構成した。少しでもジョナサンにお返しできたら、こんな嬉しいことはない。ところで、ESM in a nutshell? に対して Master Five!! の打ち出しに会場から殆ど手応えが無かったのは少し心配。アジャイルサムライとあわせて観たい > カンフーパンダ

 「スライドの最後の1枚は、最も長くプロジェクタから投影される1枚なので、自分がもっとも伝えたいことを持ってくるべき」という教えに従い、今回持ってきたのは、「esm is community. act as a member of community.」上野にある永和システムマネジメントとは一体何なのか、に対する自分の応え。当たり前だが、どんな組織にも良いところと課題はある。良いところをもっと良くする、課題をひとつひとつ倒していく、そのために必要なふるまいは、そのコミュニティによって異なる。そのコミュニティの一員としてのふるまいを続けていければ、自ずと、望むカタチになっていくはずだ、自分も、組織も。

王様のスープ

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デブサミ2012のセッションランキングが公開された。

デブサミ2012アワード

 トップが角谷さん、2位がまつもとさん、3位平鍋さん、4位自分戦略、5位藤原さんのランキングになっている。また、満足度ランキングでは、6位に野村さんと一緒に作ったセッションがランクインしている。アワードの順位はセッション来場者数×来場者の評価で並べられたもの。今回の角谷さんのセッションの来場者数は、デブサミ10年で過去最高だったらしい。 この結果をみて、少しばかり感慨に浸ったのだった。私にも、先人が作ってきた大事なデブサミというスープを引き継いで、王様のスープとして煮立てることができたのだ、そう思うと込み上げるものは、少なくない。

 角谷さんは既にデブサミ2010で最終回を迎えていたので、最初から簡単には引き出せないと思っていた(これは平鍋さんも同じだ)。和田さんの援護射撃もあって、担ぎだすことに成功したのだけど、よく引き受けて頂けたなと思う。私がかつて衝撃を受けたように、多くの人にもう1度その機会を作りたい、なにしろ今回のデブサミは(10回目という)特別なデブサミなのだ。そういう御旗があったから出来たわけだが、私には角谷さん本人にも伝えていない、もう1つの思惑があった。角谷さんの話を同じ会社の人たちが聴ける機会を作りたいと思ったのだった。私には、それが必要なタイミングだと思えた。Agileな開発を突き進むならば、組織もまた自ずとAgileであるはずだ。上野の会社も変わりゆく過程の中にあり、そのために必要なことと感じたからこそ、私はどうしても願ったのだった。(個人的な思惑、かもしれない。だが、コンテンツ委員として果たすべきことを踏まえた上での思惑なのだ。許して欲しい)

 平鍋さんにオファーをした時は、既に参加募集も始まっていて、ぎりぎりのタイミングだった。おそらく多くの他の人と同様に、私も平鍋健児という人と出会ったからこそ、変わりえたと感じることをいくつも挙げることができる。平鍋健児はプロペラ帽を被ったHEROだ、今でも。ところが平鍋さんもデブサミを卒業して久しい。XPやPFという分野で馴染みのある平鍋さんの話を聴ける機会は減っている。一方で、毎年ソフトウェア開発を生業として、この領域の門戸を叩いてくる人が大勢いる。自分がかつて味わった体験を、これからの人たちにも届けたい、それが出来るのは平鍋健児本人しかいない。これが平鍋さんをデブサミに再び召喚した狙いだった。

 藤原大という男と出会った時のことを覚えていない。海岸沿いのServicerに入ることを決めて、よしおかさんと青物横丁で飲んだときかもしれない。その時の出会いがまさか今日にまでこんなカタチで続くとは思いも寄らなかった。私が海岸沿いから辞するとき、心残りだったのは、藤原大とともに仕事を成し得なかったことだ。それは会社を辞める、最後の日にも感じたことだった。藤原大と自分の共通点は3つある。同年齢であること、大阪出身であること、クレイジーであることだ。クレイジー、彼のその部分には、どうしようもなく惹かれる

 デブサミのオファーをする際は、2011年末にDevLOVEで話してもらうことが決まっていたため、ひどく迷った(私が彼の立場なら、もうちょっと考えてよって言うね)。しかし、彼の話を聴いた人はきっと分かると思うのだけど、彼の話にもまた彼にしか込められない凄味があるのだ。栄え、滅び、そしてまた芽吹いたアジャイルの話なんて他に誰が出来る?Z旗だぜ?

 やたら寒い江ノ島への道を、彼と歩いたときのことが忘れられない。どういうテーマにするか、相談しようといって出かけてみたものの、特に大した話もせず、江ノ島を往復したのだった。 ひょっとしたら彼は私にはめられたと思ったかもしれない。

 プレゼンに練習はつきものだ。せめてゴムのアヒルちゃんくらいの役割は果そうと、雪が降る中、藤原大に上野に来てもらい、話を聴かせてもらうことした。話を聴いて、かつて、自分がデブサミで話すときにこうやって話を聴いてもらったことがあったっけ、その時も雪が降っていたことを思い出した。

 かつて、石のスープだったデブサミは、多くの人が具材を持ち寄り王様のスープとなっていった。かつて、自分は石だと言い放った人に、王様の具材として戻ってきて頂いた。平鍋さんにも、藤原さんにもとても感謝している。また、もう1つ別のセッションを一緒に作って下さった野村さんにも感謝(この物語はまた改めて)。私には、このランキングが自分のことのように誇らしい。なんだ、当たり前じゃないか、お前が揃えたのはもともと王様の具材ばかりじゃないか、そう言われるかもしれない。だけどね、鍋に入らないとスープにはならないんだよ。 

10回目のデブサミ

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 常々、主催者の岩切さんが言っていた「デブサミは10年続けようと思って始めた。」の10年目を迎えるということで何とか全力で打ち返せるよう、今年もコンテンツ委員を務めました。思い起こせば、私がデブサミに初めて参加したのは、まさにその初回にあたるデブサミ2003なのである。驚いたことに、デブサミ2003のサイトが今も残っている。

Developers Summit 2003

 デブサミとは何だろうか。10年前は今ほど勉強会のような場は無かった。それが今やカンファレンスのような大規模イベントが月に何回も開催されたりしている。こういう状況で、講演者が基本的に一方的に話す、デブサミはどういう役割を持っているのだろうと何度となく考えてきた。コミュニティの立場で参加するようになってからは、そんなことに考えを巡らすことも少なくなっていた("コミュニティとして参加する"という理由があるから)。

 ところが、今年のデブサミの角谷さんのセッションを最後まで聴いてデブサミが何なのか分かったような気がした。講演の中で角谷さんが言及したとおり、デブサミは"映画館"なのだ。1つ1つのセッションは珠玉の映画で、私達は雅叙園という豪勢な映画館で、同じ趣向を持った参加者とともに、それに接するのだ。そう、会場が雅叙園でなければならない理由もここにある。デブサミは別格なのだ。ならば会場も格が違わなければならない。角谷さんのセッションを終えたときの感覚。背伸びをして、周りの様子も伺い、ほっと一息をつく。会場を出るまでの間、歩きながら"映画"の内容を反芻する。しばらく、その感覚が消えない。素晴らしい体験を味わわせて頂いた。

 思えばデブサミ2010で初めて登壇する機会を頂いた。明けてデブサミ2011では、コンテンツを企画する側に回った。自分のことを必死に言葉にしたデブサミと、来る人のことを考えたデブサミ。両方経験したことで、デブサミでやり残したことは、もう無いと思っていた。だが、今年のデブサミで岩切さんが卒業をほのめかした時、考えが変わった。今年のデブサミは、今まで沢山のことを私にくれた、岩切さんのためにやりたいと思った。全力で、返したかったのだ。

 今年のデブサミでは、発表としては「自分戦略」をテーマに10分間のライトニングトークスをさせて頂いた。

moon and strategy
(Speaker Deckではこちら)
 これまでから現在に至る右往左往な人生を思い起こしていると、節目節目に繰り返し現れる人物がいることに気がついた。この10分は、その3人の方とこれまで私に様々なモノを与えてくれた沢山の方々に向けて、感謝を言いたくて時間を使わせて頂きました。実際には肝心なところで時間が来てしまい、言うべきことを言えなかった…。だから、せめてこのエントリの最後に。私が今ここに居るのは、みなさんのおかげです。ありがとうございました。

「ソーシャルメディアの夜明け」

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ソーシャルメディアの夜明けを読んだ。

最初は前面に出てきている著者のソーシャルメディアのラブさ加減に、2年〜3年前ならともかく今更特筆するべきことではないでしょ、と敬遠気味だった。ところが第2章あたりから、様相が変わる。モノを作るという視点からのソーシャルの捉え方に、次第に引きこまれていく。筆者はモノ作りとしてリアルプロダクティングを提唱する。リアルタイム、物語、集大成という3つのキーワードで定義された、ソーシャルなモノ作りのことだ。ここでいう物語とは、モノ作りの過程のことであり、作り手と受け手とで共有されるものだ。物語の結末として、プロダクトが生まれる。モノ作りというコトの世界に、作り手だけでなく受け手というロール、視点を持ち込む考えは、ソフトウェア開発においても新しい視野となると感じている。

私がこの本を買ってまで読みたいと思ったのは、第3章があったからだ。筆者の経験として、"ビジネスモデル病"を語り口に展開されていく。筆者の定義したビジネスモデル病とは、物事の根幹にあるものを見ようとせず、表面的なところでビジネスをする傾向のことだ。パワーポイントを何十枚と書き、会議室で何時間と過ごし、プレゼン、プレゼン、プレゼン。筆者はこの過程でさまざまなものを失い、やがてモノ作りへと回帰していくことになる。物事の根幹とは、モノ作りだった。このあたりを読んで、最近感じていた自分の言語化したい思いをはっきりとすることができた。このところ、ビジネスモデルやモノ作り以前に、多くの時間を費やしている。それは今必要だからこそ、もちろん注力しているわけだが、私個人として見たとき、このままで良いのかという恐れにも似た感情を自分の中に発見するのだ。ソーシャルメディアの夜明けは、そんな私の感情をはっきりとさらけ出させる存在になった。