The Dragon Scroll

Be just and fear not.

人生では、後から考えて、あれは、そういう ことだったのか、あれが契機だったのかと思うことがある。 私にとっては、7月のとある日のことが、それだった。

人生では、後から考えて、あれは、そういう
ことだったのか、あれが契機だったのかと思うことがある。
私にとっては、7月のとある日のことが、それだった。


今までの社内外の活動では出会うことがなかった
二人の方と、一度に会って話をする機会が生まれた。
最初、私はまさかこの日が、自分にとって、大きな
意味をなす日だとは思ってもいなかった。
7月のとある暑い一日。


「自分がやってきたことがやがて、つながっていく。
 そして、それはまるでオーケストラにように
 音を奏でる。」


その時、その人が言った大きな言葉が、どれだけ自分を
勇気づけたか。そして、叱咤されたか。
自分のやってきたこと、これからやること、それらは
一見、関係性がなく、離れているかもしれない。
無駄なことと、人が思い、自分自身が思うことも多々ある
かもしれない。
しかし、すべては、「自分」を起点にして、
起きていること。起こしたこと。
どこかで、それらがつながっていくのは、むしろ
自然なことなんだろう。
自分の力を呪い、うまくいかない状況を憎むのでは
なくて、自分の起こした行動、行動を起こす
自分と人を信じて、前に向かって進む。
私は、その人の言葉から、強い力をもらった。


もう一人の方の話を聞いて、とても揺さぶられた。
どこかで、その方の思いを聞いていたわけではない。
この方がやっている大きな祭り、そこから、私は
メッセージを無意識に汲み取り、それを自分のものにして、
同じように行動を起こしていた。
これだけでも相当な奇跡である。すべては間接的でしか
ないのだから。


そして、今、出会い、お互いの思いを知り、
私は、それを照らし合わせたとき、驚かずにはいられなかった。
自分がもう一人いる。
きっと、相手の方も驚いたことだろう。
自分の込めたメッセージが、見ず知らずの若造に、
きっちりと、この上なく、はっきりと、伝わっていたことに。
私は、思った。
この人は私の、母親かもしれない。


なんて日だろうと思った。
この日が、20代の最後の最後に待っていたのは、
どういうことなんだ、と。
これは、どう考えても20代の自分への褒美であり、卒業であり、
30に向けた自分への叱咤激励に違いない。