The Dragon Scroll

Be just and fear not.

生きるために、越える。

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 世の中には様々な境界があり、それによって個別が生まれ、成り立っている。境があるからこそ、認識・理解できる範囲を絞り込める。その中で何をすべきかわかりやすくなる。

 境の外側に踏み出した時は、何がおきるのかすら分からない。外側には不確実性とリスクと危険が待ち構えている。内側にいればおおよその予測ができ安全だ、といえるかもしれない。

 本当にそうだろうか?本当に内側は安全なのか。内側こそが自分の住むべき場所だと、いつ自分で決めたのだろうか?

 一つの部門にのみいると、部門の外は見えづらくなるだろう。
 一つの組織にのみいると、組織の外は見えづらくなるだろう。
 一つの働き方だけだと、その働き方以外は見えづらくなるだろう。
 一つの生き方だけだと?

 いったいぜんたい、私達は何をしたいのだろうか。
 どこに行きたいのか、どこまで行きたいのかによって、どうすべきかなのか変わるはずだ。そもそも外か内かは、自分を含めた誰かが決めた認識や前提でしかない。自分の行きたい先が、外や内だという見方を超えたところにあるならば、その境目と思しきものは本当に自分たちの行く手を阻むモノといえるだろうか。そう思い込んでいるだけなのではないか。

 常に果敢に進み続けることがいつも最善なわけではない。足を前に進めることは、力を使う。時には歩を止めて、沈思黙考したり、力を温存したりすることが求められるだろう。しかし、前に進められること自体を忘れてしまわないようにしたい。前に進められること自体を忘れてしまって、本当に自分の時間を生きていると言えるだろうか。

 私達は、誰かの用意したバスのお客さんなどではない。自分で走れる、自分の車を持っている。そのハンドルを実は握ってさえいる。ただそのことを思い出せば良いんだ。

まだ車のエンジンをかけていないようなら、そろそろキーを回そう。アクセルを踏め、そしてハンドルを切れ。ガッツとパッションをガソリンして、走れ。走れば、見える世界が変わる。どこに向かって、どこを走るかは、ハンドルの回し方次第。自分の、意志次第なのだ。*1

*1:この記事は DevLove AdventCalendar 2014「越境」の8日目の記事です。