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The Dragon Scroll

Be just and fear not.

Pathの心地良さ、良いサービスから学ぶこと

サービス

 年末からpathを使っている。

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 ひとことで言うとプライベートなSNSで、登場当時(path1.0)は親しい友達の間で利用する写真共有サービスだったのが、2011年の終わりの機能拡張(path2.0)でがらっと変わったようだ。私は、path2.0しか利用していない。同じサービスで、ここまで機能を変えるのは珍しいケースではないかと思う。path1.0の頃の、残っているイメージ画像に比べると別サービスのように見える。漸次的改善というよりは、ジャンプだ。ただし、コンセプトは変わっていない。親しい友達の間でコミュニケーションする、ことだ。コミュニケーションにあたって、心地良さを醸しだす、ここがpathの売りなのだ。
 pathを利用してもう少し具体的に良いところを挙げてみたい。各所で言われているとおりUIは心地良い。左下のボタンがメニューへの入口なのだけど、このメニューの出し入れ感が良い。私の友達の1人は、この感覚をして「魔法みたい」と言った。確かに昔プレイしていたロールプレイングゲームに似たような表現があったかもしれない。機能の方向性はfacebookと同じで(写真、位置情報、ひとこと)、ユーザのアクティビティをタイムラインで表現するのはまさにfacebookという感覚があるが、全体的な表現・演出のセンスはpathの方が圧倒的に良い。エリアの使い方とか、ボタンの有無とか、文字表現の多寡など、ひとつひとつを比べるとささやかな差なのだが、全体から醸しだされる雰囲気は全く異なってくる。そもそも、どちらかというと無機質、自分の存在を消すことにフォーカスしているように見えるfacebookとはデザインの方向性が違うので、単純に比べることはできないかもしれない。
 では、pathを今後も使い続けるかというと、私自身は分からない。他のサービスとの使い分けが微妙だと感じている。私の場合、twitterfacebookfacebookメッセンジャーを日常よく使う。それぞれの使い分けは出来ている。twitterは不特定多数の人達とのコミュニケーションツールとなっている。twitterのタイムラインは特定の誰かの発言を期待するのではなく(これはlistでフォローする)、多くの人たちから醸しだされる流れを眺めている感覚がある。facebookでは、会ったことがある人に限定した、コミュニケーション範囲を作っている。facebookは友人知人との大事な接点になっている。日常でなかなか会えない時間(時間は誰しも有限だ)の代用になっている。facebookメッセンジャーはさらにクローズなコミュニケーションを行う場合に重宝する。もともと、belugaという類似サービスを多用していたのだが、facebookに買収され、今のfacebookメッセンジャーになった。使い方は、ほぼ電話やメールの代わりになっている。この使い分けの中にpathが入ってこれない。私の使い方の中での、pathの競合は「親しい友人の間でのコミュニケーションツール」としてfacebookメッセンジャーになるがリアルタイムコミュニケーションという点では比べようもないのだ。
 実は、使い分けをどうするかよりも大事に感じていることがある。それは、ソフトウェアを提供する者(受託開発であるとか、サービス提供加者であるとか関係ない)として、こういったサービスから何を学ぶかということだ。良いサービスには洗練されたコンセプトと作りこまれた機能がある。コンセプトの無いソフトウェア・サービスは、利用者にちぐはぐ感をもたらす。良いサービスの立て付けを学ぶことはソフトウェア提供者にとって良質な手本になる。ところで、pathはどうやってマネタイズしている/していくのだろうか?