The Dragon Scroll

Be just and fear not.

デザイン思考、人間がその最高の材料。

ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術 の著者、棚橋さんを講師にお迎えしてデザイン思考のワークショップ
を企画開催しました。

ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術

ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術


7月24日 DevLOVE DLuidデザイン思考のワークショップ Design thinking for work(東京都)


KJ法やペルソナ、シナリオデザインを実際に手を動かしながら学ぶ、ワークショップです。
チームにわかれてワークをこなします。今回は、3チームでした。
同じテーマのワークショップを、ゆうすけさんと企画して、2009年の同じく夏に開催しています。
(講師はやはり棚橋さん)
今回のワークショップの内容は、その時とほぼ同じものでした。
内容は同じですが、感じたことは少し異なった。


ワークショップではペルソナを作った。
ペルソナがどのくらい活き活きしているかで、その後のアウトプットにかなり差が生まれてくる。
「活き活き」とはどういうことか。私が感じるのは、そのペルソナが面白いかどうか、だ。
扱うに足る、魅力がそこにあるか。話が引き出せる、深みがあるか。
ペルソナの後に、対象の行動を考えるシナリオデザインがあるのだが、おそらくシナリオを改めて、
考えこまなくても、ペルソナ自身が語ってくれる感覚になるのではないかと思う。
考えなくても、自然と浮かんでくるイメージ。


この、「ペルソナが活き活きとしてくるか」どうかは、KJ法をやる時点で分かる。
僕らのチームは素材選びで失敗して、素材群の要素の統合→ラベル付けがかなり困難だった。
やりにくいな、と思った時点で素材を変えるべきだったのだ、という。これは、素材の読み込み、
対象の理解が不足していたのだと思う。
今回のワークショップではユーザモデリングをやらなかったが、やらないことで逆にモデリングのメリットを
強く感じることになった。モデリングによって、対象の理解度は圧倒的に違ってくる。
モデリングは成果物を残すことより、その過程によって対象の理解を深めることの方が余程重要だろう。
モデリングを通して、KJ法をやるための、脳が鍛えられる感覚がある。
ユーザモデリングに関しては、棚橋さんの本に詳しく載っている。


プロセスが同じでも、メンバーが異なればアウトプットも変わる。当然のことだけれども。
創造的な活動において、人間がその最高の材料になる。
ソフトウェア開発も同じ。一つとして同じものは出来上がらない。
「誰がやっても同じになるように。」という言葉が現場で聞かれることは少なくないと思うが、
「誰がやっても同じようになる」成果物はその程度のものということ。そこは勝負どころではない。
結果が違うからこそ、人間の手でやる意義がある。


もう一歩進めると、デザイン思考をチームでやる意義もみえてくる。
なぜ、一人でやらないのか。意見の衝突が無い分、生産性が高そうだ。だからこそ、チームでやる。
一人で考えると、視点が固定されアウトプットの幅や深さが広がらない。異なる視点、感覚があればこそ、
異なる意見のぶつかりの中から、思ってもみないものが出てくる可能性が高まる。
チームワークは必要になるが、あまりにまとまり過ぎると、かえって、出来上がるものの面白味が欠けるだろう。


デザイン思考のワークを、あまりに予定調和に進行すると、チームでやる意義が薄れる。
一方、あまりに混沌としていても、アウトプットに繋がらない。このバランスが難しいし、デザイン思考を
やる上での鍵になると思う。
棚橋さんが言った、「たくさん失敗をすること」はデザイン思考の1つの本質なのだと思う。
結果的に失敗だったと感じることも、恐れずそれを言葉(形)にしてみることで、その時の、誰の、何に、
作用するか分からない、意図せず繋がるかもしれない。
形にして、共有することには価値がある。むしろ、そこからが始まりなのだ。