The Dragon Scroll

Be just and fear not.

感謝と向き合えた日。

9月26日、大阪でDevLOVEを開催しました。
DevLOVE関西2009MIRAI


はてぶではdevkan2009のタグで、
twitterなら#devkanで当日の様子がどんなものだったか伝わると思います。



まず最初に、講演者の方々、運営・準備を担った方々、そして、土曜日にも関わらず参加頂いた皆様に
お礼申し上げます。皆さんがあの場所に足を運んだからこそ、あの時間が生まれました。
ありがとうございました。


今回、関西でDevLOVEをやるきっかけとなったのは、DevLOVE等を指した、友人の
「関西にはそういう勉強会やイベントが無いからなぁ」
というつぶやきでした。
"具体的な誰かのために"というのは、何かを始める私の"最初のモチベーション"となっていることに
後で気づきました。
行動を起こしてみて、後で何かに気づくことが私は多くて、自分がもともと居た関西に戻って、
このような時間と場を作れたことに感慨深いものを、だいぶ後になって感じました。

薄氷は、踏み抜く

今回の場を作るにあたっての準備は、すべてMLとSkypeで済ませました。運営を担う人たちが
それぞれ、関西と関東に分散していたため、事前に会って打合せすることができませんでした。
Ustなし。ダイアログの打合せなし。LTのスライド集めるのは当日。全体の流れの確認も当日。
運営を担う人たちの間でのコミュニケーションが足りていなかったのは明白でしたが、
薄氷はそのまま踏み抜いていくくらいの気持ちで当日を臨みました。
ただ、薄氷を踏み抜いたことで、空疎な時間が流れるのはあまりに残念なので、ベストエフォートで
何とかする、が方針。そこに物足りなさを感じる方にこそ、運営の役割を担って欲しいと思います。
このような場や時間を作るのは、運営だけではありません。参加するという、これもまた役割を
持った人がいてこそ、成り立ちます。コミュニティの場を作るのは、そこにいる人たち自身です。

自分のことを、真剣に考える

id:chris4403 の話を聞いて、特に自分の耳に残ったのは、"真剣に"という言葉でした。
自分のことを真剣に考える。SIerからネット企業に移った、彼が放つ"真剣に考える"は、心に響く重さがある。
真剣に考えたからこそ、会社を移るという選択を取ったし、元の場所でももっとできたことがあった
のではないかと、考えている。
本当に、このままでいいのか、とことん考える時間を大切にしたいですね。
私はどちらかというと日常に流されやすいので、そういう時間は意図的に作らないと、
生まれないと感じています。
最後に、彼から今の仕事を指して、"なんか楽しい"という言葉を聴いたとき、自分のことのように
嬉しいと思えた。


前川さんの話では、"同じゴールを見ていてもビューが違うのは当たり前"に共感しました。
どういうものに欲求を持っているか。その欲求をまとめたものが、その人の主観。
主観は当然ながら人によって異なる。だから、同じ場所を目指していても、ずれてくる。


id:HappymanOkajima さんの話からは、権限と責任の委譲、特に"責任の委譲"に共感。
「やってみろ。責任は自分が取る。」という言葉は嬉しい言葉だが、自分が責任を担って
行う覚悟がなければ、本当のことは成し遂げられないとも感じています。
責任を担っているからこそ、真剣さに拍車がかかってくる。先に書いた、"自分のことを真剣に考える"
とは、自分の人生に責任を負うということに他ならない。それは日常に流されているだけでは、
できないことです。

感謝と、向き合う

"楽しかった。また、やりましょう。ありがとう。"と誰となく、感謝される。
そうやって感謝されることに、居心地の悪さに似たものを感じることがあります。
私は、人からの感謝を受け取ってよいのか、どうか。
そして、受け取って、そのことに喜んでもよいのか、どうか。
そういうことに喜びを感じるなら、ビジネスの世界から身を引いて、違うことでも始めた方が
良いのではないか。いや、私は、今の世界に居るからこそ、いきいきと生きていける。
と、少し悶々とし始めたときに、読んだものが、id:hyoshiok のこのエントリ。


2009-09-26 - 未来のいつか/hyoshiokの日記


ここに、共感した。

社内だろうが社外だろうがコミュニティが存続するには、そのようなある種狂気に満ちた確信犯が
自分の意志に素直になって旗を振り続ける、それに尽きると思う。カーネル読書会を続けるのは
そのような狂気であり狂喜でもある。

2009-09-26 - 未来のいつか/hyoshiokの日記


DevLOVE関西を始める最初のきっかけは、"具体的な誰か"のためだった。
しかし、その後にあるのは、自分自身の狂気。
関東に居る人間が、わざわざ、関西で、休みの日に、人を集めて、ちょっとぎりぎりのコンセプトで、祭りをやる。おそらく正気の沙汰ではないと言ってよいのではないか。狂気の自覚がある。
では、狂喜はあるのか。


今の仕事は、面白いし、生計も立っている。その好きな仕事に近いところで、人から感謝される。
自分が創りだした場や時間に対して、誰かがありがとうと言ってくれる。
私だって、ありがとうと言いたい。
自分と誰かの、仕事の世界が少し良い方へ動く。少しずつ、良い方へ動く。
誰かに感謝されることで、それを実感することができる。狂喜です。


関西から関東へ渡ったのは、自分がいる世界に対して飢えを感じたからだった。
しかし、私が知らなかっただけで、関西にも、休みの日に、わざわざ集まって、ちょっとぎりぎりの
コンセプトで、祭りができる世界がある。


関西、すげぇよ。