The Dragon Scroll

Be just and fear not.

ユーザはユーザビリティに対価を払うか。

8月1日デザイン思考のワークショップを開催した。私は、主催者の1人で、場所を提供した。
いろいろと課題のある会場となったわけだけれども(いろいろと制約が面倒すぎる)。


最初にワークモデルを作る。これが難しい。今まで書いたことが無いため、どういう基準で書けば
よいか分からない。棚橋さんがその後のブログで書いているが、とにかく手を動かして、作りながら
直しながら進めばよかったのだ、と。その進め方については、確かにそう思う。ただ、それと同時に、
進め方についてはチームで合意を取っておく必要があると感じた。つまり、「我々はこれから、
試行錯誤しながらこのワークモデルを作る」ということをだ。コンテキストが共通でない、初めての
人同士が集まって出来たチームでは、この合意形成が最初に必要だったと思う。これが無いために、
フラストレーションを貯めながら、様子を見るという状況が続いた。


ワークモデルの次は、KJ法
これが、想像以上に困難な作業だった。"似たもの同士を集める"という作業が、基準があるように
見えて、それでいてあいまいで、なかなか手が動かない。グルーピング化は時間がかかり、
かなり消耗した。後で様々な方に話を聞いたが、KJ法というのは、確かに疲れる作業だという。
本ではよく見かけるKJ法だが、読むのとやるのでは全く印象が異なる。
このボリュームの作業を、開発の現場でこなせるイメージは湧かなかった。


KJ法で、ユーザの行動や考えを整理し、ペルソナを作る。ペルソナ作りは、参加者によって、
内容を膨らませるステップなので、意見さえ出れば、前に進められる。このあたりから、
チームの作業は少しずつ、うまく動き出した(ように感じた)。
最後に、ペルソナに基づきシナリオを作る。ここでサイトを利用するユーザの行動(プロセス)、
ユーザ要求、機能を検討する。
この作業は、私にとっては、もっとも気持ちよく進められた。
その後、参加者が一様に感想として残していることだが、デザインのワークは想像以上に、
体力と頭脳を消耗するものだった。時間もかかる。ペルソナの作り手はまず体力が必要だ。


デザインのワークをきっかけとして、生まれた問いがある。
SIにおいて、ユーザビリティの分析に対して、ユーザは対価を払ってくれるだろうか。
今回のワークを通して、かなりボリュームがあることを理解した。コストもかかることだろう。
ユーザが対価を払う、その可能性はいまのところ低いと感じる。
ペルソナはユーザからみれば架空の存在であり、その架空の存在に基づき作るユーザビリティ
正しいといえるのか、と問われたときに何と答えれば良いのだろうか。
そういった、ユーザが持つ疑念に対して、われわれが説明し、納得を得ることができなければ、
ユーザが対価を払うことはないだろう。
われわれは、ユーザビリティの検討のためのプロセス、ロジックを周到に準備しておく必要がある。
そうでなければ、いつまでも、ユーザビリティは置き去りとなり、結果としてユーザの満足を
高めることはできないだろう。