The Dragon Scroll

Be just and fear not.

デブサミに育てられてきたようなものだ。

今年もデブサミに参加してきた。
Developers Summit 2008 - デブサミ2008 :CodeZine


まさか、デブサミ5回目にして道に迷うとは…。

雅叙園の裏を拝む機会なんて、まぁ無い。
おかげで、最初のセッションに遅れてしまった。
以下、感想。

『海外におけるアジャイルの現在』

標準は現場で開発されるもの。現場の気付きで改善されるもの。

Mary PoppendieckのAgileConf2007での話を伝える平鍋さんの言葉が
記憶に残った。
Agile2007 Wednesday:An Agile Way:オルタナティブ・ブログ
平鍋さんが日本で披露してから、もう半年も経つんですね。


この話を聞いた頃、ちょうどプロジェクトがデスマーチに突入していた。
私が所属する組織にも、『標準』と呼ばれるものがある。
奇しくも私は自分のプロジェクトで、この『標準』に真正面から向かいあう
ことになった。
結果、分かったことがある。
『標準』が、今回のデスマプロジェクトになんら益するところは無かった。
良い方向にも悪い方向にも、何の影響ももたらさなかった。
『標準』で規定された作業は、ただの一タスクと他ならなかった。


今なら、引用した言葉が、腹に落ちる。
『標準』を掲げて開発をするのであれば、少なくとも
現場からのフィードバックを常に反映する仕掛けが必要だ。
それは、数年に一回更新といったロングスパンでは意味が全く無い。
リソース(『標準』を作る方も使う方も)をかけて、真面目に『標準』を
構築・適用していくのであれば、『標準』そのものを成長させて
行かなければ、その行為に意味が無くなってしまう。
『標準』を現場の手に取り戻そう。


ということを真面目に組織に提言しようと思う良い機会になった。

『David intersimoneと日本のRubyのコミュニティが、オープンソースの現在と未来について語る会』

このセッションでクリティカルヒットな発言だったのが、こちら。

「みなさんにとって、このセッション良いものになったでしょうか。
 私は楽しかったから良かったです。」(Kakutaniさん)

後、Rubyコミュニティが自由すぎる件と、
RubyRailsの微妙な関係が面白い。
お互いが必要としているんだけど、なぜかすれ違う二人という感じ。


今年のデブサミでの気付き。
すべてのセッションに参加する根気と若さがもう自分には無いこと。

反復開発とテスト - 7年

このセッションに出て、もう今年のデブサミはいいやと思った。
そのくらい、自分にとって気づきがあった。

事前に分かっている変化は、変化のうちに入らない。

変化ヲ抱擁セヨですらなく、変化できるようにするためには
どうすれば良いかを考える。頬を打たれた思いがした。

工程からバージョンへ。反復=洗練。

分析工程→設計工程→製造工程→試験工程…といった工程で
ソフトウェア開発を捉えることから離れる。
バージョンで開発工程を串刺しにする。バージョンが
ソフトウェアの成長の一サイクル。

要求がプロセスを経てソフトウェアという成果物になる。
このプロセスというのはチームそのもので、もう一つの成果物である。

チームも成果物なんだ。
チームもソフトウェアも成長していくんだ。

TPSで進化するアジャイル開発

ちょうど今、リーン開発の本質を読んでいる。

リーン開発の本質

リーン開発の本質

リーンソフトウエア開発?アジャイル開発を実践する22の方法?の続編にあたる。
リーンソフトウエア開発?アジャイル開発を実践する22の方法?

リーンソフトウエア開発?アジャイル開発を実践する22の方法?


TPSの本質とは何だろう。
私は「現場(チーム)が自律的になること」だと捉えている。
現場が状況を把握し、判断して、素早く動ける状態になること。
自分たちのプロセスを、自分たちが改善できる状態になること。
そのために、状況の見える化が大切だと繰り返し説かれている。
だから、見える化は、リアルタイムな見える化であるべきなんだ。

さいごに

デブサミに参加するのは、これで最後かもしれないなと思った。
なんとなく、デブサミに満足できなくなってきている自分もいたりする。
私は、初回からデブサミに参加している。毎回、刺激をもらってきた。
デブサミは、多くのエンジニアにとって非日常的な場所なはずだ。
そこには普段の現場では考えもつかないような、新しさがある。
自分もそうだった。
だから、デブサミに育てられてきたようなものだ。


このイベントが業界にもたらす影響は大きい。
今後とも続いて欲しいと切に思う。