あえて狭い鳥かごの中に閉じ込める必要も無い。
忙しい日々の隙をつくようにして、TOC思考プロセスのとある勉強会に
参加した。
そこで、とあるSIerの役員の方との会話で、考えたこと。
それは、
『人の意識は、何にも囚われることのない、本来自由な存在である。
それにも関わらず、自分の所属する環境や組織に、
意識が従属してしまっていることが多い。』
ということ。
例えば、会社勤めをしていて、本人にはその意識は無いにも関わらず、
その会社の風土・考え方の枠組みの中で、自分の思考を囲ってしまっているということ。
主体的に考えているようで、実は、そうではない。
むしろ、そのように考えさせられている。
これは、よくあることではないですかね。
少なくとも私は、そうでした。
自由な発想をしているつもりでも、実は、そうではない。
会社の持っている枠組みの中でしか、考えをめぐらしていない。
自分の世界=会社という、物凄く限定された状態。
その善悪を問うつもりはない。
ただ、可能性を狭めていることがあると、思うだけ。
このことに気づくためには何らかの契機が必要だと思う。
私の場合は、転職でした。
転職を考えるとき、おのずと社外にある世界のことを考えなければならない。
そして、その時初めて気づいた。
外の世界の広さと、比して、自分の存在が如何に小さいかを。
そのことに気づけたということは、自分の意識を、より広い空間まで
広げることができたんだと思う。
次の契機は、社外のさまざまな人々と交流を持つようになったこと。
転職で、自分の業界を知り、社外交流で、それぞれ、違う世界を持つ人々と
出会うことができた。そこから得た気づきは計り知れない。
それが無ければ、きっと今の自分はない。
自分の意識を、あえて狭い鳥かごの中に閉じ込める必要も無い。
このような捉え方を、構造主義と呼ぶことを、最近知った。