The Dragon Scroll

Be just and fear not.

私の資格に対する考え

この業界、数え切れない資格がありますが…


資格は必要でしょうか?


例えば、OracleMasterがありますね。
数万人の方が、取得されています。多くの方が、取得されている分
あまりありがたみがないかもしれませんね。
他にも、代表的な資格と言えば、情報処理試験
こちらも、良く言われるのが、


「資格を持っているからといって、現場じゃ役に立たない。」


せっかく、努力して苦労してとっても、これでは、がっかりですね。


しかし、がっかりする必要は全くないと考えています。
「資格を取ること」を目的として、数多く持つことをステータスを
しているのであれば、あまり意味はないかもしれません。
資格を取ることが手段で、「スキルを身に付けること」を目的
であれば、それは大変意味があることだと、私は思います。


例えば、前述のOracleMaster。
取らなくても、もちろんOracleを使いこなせます。
これも、良く言われる、「資格ホルダーより無資格ベテランさんの方が
断然優秀である」という場合も往々にしてあります。


しかし、それでも、OracleMasterを取ることに意味はあります。
それは、取得過程で、Oracleに関する知識が体系的に整理されるからです
(勿論意識的に身に付けなければなりませんが)。


ある現場では、バックアップ運用までは考えなくても良いかもしれません。
しかし、別の現場では、バックアップ設計が必要となるかもしれない。


現場の経験だけに頼っていては、別のケースに対応できない
可能性があります。
知識が、現場が必要とするモノのみ集積されており、いわば”点”
のような状態で、”面”になっていない場合があります。
(ある意味効率は良いですが)


ですから、体系的に知識を身に付けておくということは、
”面”を形成しておくことに他なりません。
将来の課題に対して十分に準備をしておくことができます。


知識の集積の手段が、資格取得なのか、書籍なのか、それとも別の何かなの
か、理論倒れにさえならなければ、それは問題ではないと考えています。


では、情報処理試験はどうでしょう?
OracleMasterが、技術ベースの資格とすると、情報処理試験
工学ベースの資格ですよね。
果たしてソフトウェア工学が、現場の仕事に直接役に立つのでしょうか?


私は、ソフトウェア工学は、役に立つかどうかというより、エンジニアの
基本動作の基礎にあたる部分だと考えています。
システム開発における、原理原則といったところです。


例えば、情報処理試験アプリケーションエンジニアのテキストを
開くと、外部設計工程がどうで、その中で画面設計をして、画面設計では
インターフェースがどうのこうのと、細かく、結構ありきたりなことを
書いています。


原理原則とは、退屈で、面倒で、分かりきったことに思えます。
さらには、重い内容であったり。
(「実際そんなにドキュメント作ってられないって!」)


しかし、この「ありきたりなこと」が大切なんですよね。
実際に、現場の行動の中で、出来ているかどうか。
基礎を外していると、やはり、遠い未来か近い将来かで、
思わしくない事態を招くことになります。


そして、基礎の上に立って、応用が出来ているかどうか。
当然、杓子定規にどんな現場や、状況にでも適用できるような
銀の弾丸はありませんよね。


情報処理試験は、エンジニアの基礎固めと、捉えています。
足元を固めておけば、ひとまず流行に惑わされる必要はありません。
ハヤリものの中にも、次のデファクトスタンダートになるものも
当然あります。
ですから、これらは基礎の上に自分なり取捨選択し、応用として構築
して行けば良いと思っています。


いずれにしても、資格を持つことだけが目的となっていては、
勿体無いですよね。


最後に。
ある日本人の哲学者が次のようなことを言い残しています。
「学問は、実際の生活の中で生かさなければならない。
 活学でなければならない。」