The Dragon Scroll

Be just and fear not.

デブサミ2019で話したこと、約束したこと。

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 デブサミ2019で登壇していきました。

デブサミ2010

 デブサミにはじめて登壇したのは2010年のこと。

タイムテーブル詳細|世界は変わった。開発の現場はどうか? Developers Summit 2010

もう10年も前のこと。10年!

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デブサミ2011 

 それから、2011年。この年は野村恭彦さんと企画セッションをやったんだ。

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 2011年からコンテンツ委員をつとめていました。

創発 未来につながるために 世界に帆を立てるために Developers Summit 2011

 2011年は3.11震災があり、東北初のデブサミにも行ったんだ。コンセプトは帆立て。途方もなく懐かしい。

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デブサミ2012

 2012年は、自分戦略をテーマに登壇。

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 この年も帆立て。2日連投。

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デブサミ2013

 2013年も野村さんと。

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デブサミ2014

 そして、2014年。 確か、この回をデブサミ登壇最後と決めたんだっけ。ギルドワークスの立ち上げもあり。ソロで話したのはこれが最後だ。

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デブサミ2017

 そして、2017年再登壇。ギルドワークスでの取り組みを棚卸し。人生が曲がったデブサミ2007年から10年、越境10年と題した。黒田樹さん、新井さんの3人で上がりました。

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デブサミ2018

 前年で越境10年とまとめてしまったのでもう登壇はないかなと思っていたら、2018年カイゼン・ジャーニーの年。新井さんと登板。

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 ちなみに、このCan we change the world?というフレーズは、はじめて人前で話したときのスライドのタイトルだったのでした。XP祭り2007ですよ。デブサミ2007→社内でデブサミを立ち上げる!→その報告がちょうどXP祭りだったわけですね。内容はもちろん若い。

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デブサミ2019

 ということで、2019年。まずは技術書大賞セッションでライトニングトークス。

 

 さらに2日目に、カイゼン・ジャーニーその後をテーマに。新井さんと再び。

ちなみに、朝の挨拶をつとめたコンテンツ委員は黒田樹さん。2017年(下)の並びを再現。デブサミはいつもドラマチック。

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 今回のタイトルは、「我々に越境できない境界は無い」。どうやって越境するの?には触れませんでした。もう、これだけ越境の話をしてきたのだから。其の先の話がしたかった。

 黒字に赤の表現は、私にとっては伝統的なスタイル。師匠のプレゼンの雰囲気を模倣していたのがよく分かります。最近は、白地に青のトンマナだったのですが、今回は自分自身のこと、自分の中の奥底に降りていって、そこにある床板をひっぺがして、中身を掴みだすような話をするためには。old style。
 
 なぜ、今回先達のことに触れたのか。その答えはもう明らかですね。今までデブサミでこれだけの話してきました。先達が自分の目の前にいつも居たから。前進してこれたんだ。

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 そういう思いは人に届くようになっているらしい。デブサミはいつもドラマチック。

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 すべてを終えて、最後の最後に岩切母さんとサシで話す時間ができた。今回、私達ギルドワークスは、休憩エリアでブースを出させてもらいました。だから、本当に久しぶりに休憩エリアを眺めることができたのですが、そこには私が2003年の最初のデブサミの頃に見た感じと同じ風景がありました。
 「デブサミは誰にとってもアウェイ」という言葉があったような記憶があります。いつも、内輪感がない場所。あるとしたらかつて存在したコミュニティブースの界隈くらいだった。そこはいつも同窓会みたいな感じだった。
 誰にとってもアウェイ。休憩エリアにはそのことを思い出させる雰囲気があった。こういう感じ、もうちょっと何かできるのかもねえ。そろそろ。平成最後のデブサミだったわけだし。なんか考えよう。だから、来年はスタッフで雇ってね。登壇もしたし、コンテンツ委員もつとめたし、今回はスポンサーもやった。でも、まだともにつくるが残っていた。なんて話を岩切さんとした。
 それから、もう一つ約束みたいなものを交わした。何が出来るか分からないけども、岩切さんが気にしていることと自分が気にしていることがクロスしたので、それはやっぱり何かできたら良いなという感じで。
 恩送りという言葉、よく耳にするようになったけども、私は恩返しもしたいんだよね。本当に、大好きだったからさ。