The Dragon Scroll

Be just and fear not.

リーン開発の現場に、いたる道。

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 「各自頑張ってください。」

 やや照れくさそうに、トークの最後はその言葉で締められた。10月28日にサイバーエージェントさんをお借りして開催した「リーン開発の現場」の出版イベントでのことだ。最後の言葉がしばらく耳に残った。その言葉を頼りに自分の記憶を辿ってみると、ある出来事が思い出された。

 それは2008年10月31日のことだった。出版イベントの実に5年前だ。当時私は友人の同僚と2人で「アジャイルプラクティス」の読書会を社内で開催していた。その締めくくりとして監訳者の2人を会社にお招きしたのだった。最後の読書会も終えて、その懇親会で私は恐る恐る監訳者の1人に話しかけた。その時、監訳者の方とは"持ち場"の話をした。自分たち一人一人が"持ち場"を持っている。それぞれが大切にするものは違うかもしれない。それを大切にすることは、決して楽ではないはずだ。様々な問題が待ち構えている。しかし、自分の抱える問題の解答は他人の中にはなく、自分が向きあっていくしかない。だから、自分が大切にするもののために、頑張る。監訳者の方は、私との会話をこう締めくくったのだ。

「各自頑張れ、やで。」

それは5年かけて再び耳に帰ってきた言葉だった。

ラスト3マイルからの戦い

 前回のエントリから出版に辿りつくまで「3マイル」と見立てたが想像以上に険しい道のりになった。書き終え、一旦はレビューも終わった日本語の文章を徹底的に磨いていく。残っていた誤訳をしらみ潰しにする。読んでみて感じるひっかかりを削ぎ落としていく。監訳者角谷さんとのそのやりとりはすべてgithubのissueでおこなった。角谷さんがissueをあげる。こちらでissueを倒す。角谷さんがissueをあげる。こちらでissueを倒す。50のissueを倒したら、50のissueが増えている。まさに全文に手を入れ、書きなおしていく。原文の読み直しを1周したら、2周目。2周したら、3周目。issueでのやりとりを締め切り直前まで繰り返す。

 アジャイルサムライの時も直前まで手を入れていたという。「下手くそは、努力するしかない。」上手にやれる人はもちろん居る。だが、そうでないなら。やるしかないのだ。

日本語版のまえがきと解説

 今回、日本語版まえがきは角谷さん、解説は平鍋さんにお願いをした。このお二人に文章を頼んだのには思いがある。私はお二人が出した本や話したこと、その背中を見てきた。アジャイル開発に向き合ってきた、少し年齢を重ねている人ならきっと分かってくれると思う。日本のアジャイル、その最初の10年はこの二人が誰よりも先を突き進んでいた。いつも前にその背中があった感覚だ。

 平鍋さん、角谷さんと初めて会ったのは2006年のことだったと思う。角谷さんとその後まともに話をしたのは先に書いた2008年の読書会の懇親会になる。そして、2010年に初めてデブサミ発表のオファーをもらい、発表内容の相談に乗ってもらった。2011年には、私は上野の会社に移る。

 やがて、2006年から7年の時が経ち、1冊の本が出来た。その監訳者まえがきで、藤原と私をこう紹介して頂いた。

「学びとは、ただ知ることではない。知識は頭の中のものだが、学びとは手の中にあって、熱意によって行動に移されるんだ」というフレーズを体現するアジャイル開発実践者です。

(監訳者まえがき より)

角谷さんに"アジャイル開発実践者"と呼ばれることは自分にとって格別だ。自分にも歩みがあって、ふりかえれるくらいの道のりがあることに気付く。たくさんの人や書籍との出会い、出来事や仕事があって今の自分に辿りついている。すべて自分にとって必要なことだったのだと、受け入れられる。生きていれば愕然とすることや憤ることもたくさんある。出来れば避けたいと思う。しかし、ひとたび自分の時間として経験したならば、それは必ず自分の一部になる。

相棒

 人との出会いを思い起こしてみると似たような経路を辿ることに気づいた。ある人と出会えたのは、別の人が居て紹介してくれたから。その別の人と出会えたのは、コミュニティをやっていたから。そして、コミュニティをはじめたのは今やあるメガネ屋さんでRubyプログラマーとして腕を振るう仲間が、その昔同僚に居てくれたからだった。

 さて、藤原大と出会えたのはよしおかさんが居て紹介してくれたからだった。ただし同じ会社に居ながら、その後ほぼ関わりは無かった。やがて私が会社を辞めるときを迎える。藤原とは終わりを迎えてからが始まりだった。2012年にダラスのアジャイルカンファレンスに行った。その後、イベントを開催した。そして、本を作った。

 本作りは10ヶ月を要した。その間、だいたい彼が夜0時まで作業を行い、私が0時から作業を開始するという体制になっていた。「一夜明けたら、issueが半分くらいになっていて、彼がどんな驚き方をするか」を期待するのが密やかな楽しみだった。オンラインでのやりとりがだいたいで、リアルに会うことは数えるくらいしかなかった。生息する時間帯も、所属する会社も、考え方も性格も異なっていて、それでも背中を任せるのにこんな安心する相手は居なかった。おそらくは「現場が好き」という共通するたった一つのことがあったからだと思う。

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  かくして、「リーン開発の現場」は出来上がりました。ただただ、読んで頂けるだけでこんな嬉しいことはありません。そして、読み終えたら。各自頑張っていこうではありませんか。

リーン開発の現場 カンバンによる大規模プロジェクトの運営

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