考えることと、感じること
自分の定めたルールにのみ従って生きている、という人はおそらくいないでしょう。
私たちは、仕事でも生活でも、他者から提供されるフレームにも則って動いています。
何も考えずにフレームに則ることはある意味で楽です。
ただ、それでは、その行為を他者ではなく、"自分が行う"という点では価値が現れてきません。
他者のフレームに則ると、コンテキストを読み切れず、行為する上で足りないものを自分で補完する
ことになります。制約や前提を自分で無意識のうちに作ってしまいます。
常々、そういうものを、一旦排除することが大切だと考え、自分の行動に落としてきたつもりでした。
ところが、あることで、
「なぜ、こうなのか。こうしてくれたら、いいのに。」
という言葉が、頭に湧いてきたときに、唐突に気づいたのです。
そう思うなら、なぜ、自分でしないのか。なぜ、自分ができないと思っているのか。
どれだけ、制約や前提を自分で勝手に作ってしまわない、と決めていても、後で、
やっぱり、自分自身がそれらを作っていたことに気づく。
人は思っている以上に、思い込んでいる。"思い込まずに考える"ということは不可能なのかもしれません。
ということは、自分が生み出した思考をありのままには受け入れず、疑うことが習慣として必要だと
いうことになります。
一方、直感で動いて、後から結果と意味を繋いだとき、予期せぬ感動が起きることがあります。
"具体的な誰かのために"というのは、何かを始める私の"最初のモチベーション"となっている
感謝と向き合えた日。 - papandaDiary - Be just and fear not.
ことに後で気づきました。
行動を起こしてみて、後で何かに気づくことが私は多くて、自分がもともと居た関西に戻って、
このような時間と場を作れたことに感慨深いものを、だいぶ後になって感じました。
思考は、考えること。自分のバイアスがかかっている。
直感は、感じること。自分のバイアスすらかかっていない。
私は、私の直感は、まだ信じるに足ると感じています。
直感が働くためには、物事に対するアンテナの感度を高めておく必要がありそうです。
目の前や頭の中にあらわれたもの、起きたことに対して、何かを感じられるかどうか。
特定のことだけではなくて、さまざまことを受け取ってみる。
自分はどういうものに何を感じるか体で覚えておく。
arclampさん の「西村さんへの手紙」というエントリを読んで、先に感じていたことと意味とが後から繋がり、このエントリを書きました。
だから、僕は自分が楽しいこと、ワクワクすることやっていこうと思います。
http://www.arclamp.jp/blog/archives/live_alive.html
まずは自分自身が直感的に気持ちいいことを大事にしたい。信じていたい。