The Dragon Scroll

Be just and fear not.

その橋に続け。新たな橋を。かけろ。

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活動として大いに一区切り感があり、コミュニティとしての節目をきちんとつくるためにやはり記念回を設けようと考え、用意したのが第200回

200回目をどんな場にするのか。ふりかえれば、現状を変える、という意味での越境を様々な場、局面で、様々な人に助けてもらって、やってきたんだという思いに駆られる。

自分で会社を立ち上げて、事業を営むようになって。人の事業立ち上げやサービスづくりを手伝うようになって。人の越境を支援することで、越境を共にし、自分一人では到達できない領域へ行ける可能性に、ワクワクした。

最初に目撃した人の越境から、実に10年経っても、信じられる。どのような領域だとしても、越境という行為は本人と、そのまわりの人たちに、いきいきとした感情を沸き立たせてくれるのだ。

2008年にはじめたコミュニティの最初のテーマはBridgeだった。交流のない現場と現場に橋をかける。学びを得て、互いの現場で新たな一歩を踏めるようになろう、という。それから丸9年が経って、200回目の節目のテーマはやはり、Bridgeなのだろうと思った。現場と現場にかける橋から、今ここと、まだ見ぬ先との間に架けるものへ。

だから、200回目で壇上に立たれる方には、その方自身の越境を語って頂きたい。この思いから、まずお願いしたのはデブサミ2017でも共に登壇して頂いた、黒田さん、新井さんのお2人だった。お2人の話は、いつも、まさにご本人にしか話せない内容になっている。今回はデブサミのときに比べると話す時間は倍。また時間を共にできることが、とても嬉しい。

また、そのセッションのコーディネートを担当してくださり、ご自身も新天地へと越境された鍋島さん。長らく、コミュニティの顧問的に節目節目の大事なところで話者を務めて来てくださった、川島さん

さらに、199回目で代表講演をしてくれた及部さん。関西から代表して、中村洋さん。コミュニティの共同創業者を代表して、竹本。最後の架け橋はの方で務めさせて頂く。コミュニティのこれまでの歩みを感じさせる、皆さんともう一度橋を架けられることに大変感謝する。

200回目の越境が、何に繋がるのか。いつものことだが、やってみないと分からない。だけども。かつて、様々な方からの引力を受けて、越境できたように。この場が、また他の人にとっての引力となる場になると、信じている。

その橋に続け。新たな橋を。かけろ。

あなたが開発しているプロダクトにストーリーはあるか。クリフハンガーに陥らないための作戦がここにある。

BNNさんから刊行される「ストーリーマッピングをはじめよう」という書籍のオビに推薦の言葉を添えさせて頂きました。

ストーリーマッピングをはじめよう

ストーリーマッピングをはじめよう

  • 作者: ドナ・リチョウ,高崎拓哉
  • 出版社/メーカー: ビー・エヌ・エヌ新社
  • 発売日: 2016/12/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 
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日常的に忙しさの限界を越えている人向け「マニャーナの法則」

「仕事に追われない仕事術」これは、なかなか良い本。

仕事術系の本はとんと読まなくなったけども、知人が紹介しているのを見て久々に手に取る。マニャーナの法則とは、新しく発生した仕事は「明日やる」と決めること。なぜそれで上手く仕事がはかどるのかは、本書を読んでいただくとして、刺さったワードをあげてみる。

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半径5メートルも、自分。

https://www.instagram.com/p/BMVk-m1A-rS/

先日の会社の事業合宿にて、たまには私へのフィードバックをと根堀葉掘り聴くと意外なことがわかった。(相手の方は、夜の1時まで付き合わされて、大変めんどうであったに違いない)

それは「これは違うなとわかった時のインターフェースが、唐突に変わりすぎる」というものだった。 

これは自分では意外すぎた。自分の外面は自分で完璧にコントロールしているつもりだった。どうも、ミーティング中でも私から「これは違いますね」感が漂い始めるらしく、ミーティングの雰囲気が微妙になっていく。 
この「違う」の対象は「考え方」についての場合が、多いように思う。人と人同士、違って当然なのであるが、こと仕事において「正しいものを正しくつくる」だとか「越境」だとかという軸と照らし合わせて「違った」場合、このまま進めていくべきかは大いに考えることになる。
「進め方」が違う場合は、時間をかければ整えられることが多いが、「考え方」の場合は、違ったまま時間を進めても、双方にとって不幸になることが多いと信じている。Howレベルは何とかなるが、Whyレベルで方向性が違うと、上手くいく芽が小さい。
開発の現場というのは、スポーツでのチーム、音楽でのバンドみたいなものだから、方向性が違うと具体的な活動でいちいち不協和音が生じ、えんえんと悩み続けることになる。ということが、もう経験的に身に染み付いてしまっている。だから、Why違いには敏感になる。
一方、自分の軸と照らし合わせる「システム」のようなものが無意識に働いているのは、自身が軸を大事にしている証左で良い反面、やはり気をつけなければならない。
さすがにTPOを弁えるので「これは違うな」と思ったところで、話をぶったぎることは、あまり無い。だが、同席している人を醸し出す微妙な雰囲気でドキドキさせることがあるらしい。これは反省しなければならない。とっくに、自分の外面に責任をもつべき立場と年齢だ。
スポーツ選手はまず自分の体のコントロールを完璧にすることを目指すそうだ(と、武井壮が言ってた)。自分自身のことを自分で認識できていない、自分の意思で制御できないレベルで、果たして目指すべき成果が得られるのか、という。もっともだ。