頭の中で二歩目、三歩目をいくら描いても、一歩目を踏んでいなければ一ミリも前に進めない。
先日、数年前に在籍していたSIer(もともと東京湾の海岸沿いにあったため、仲間内で「海岸沿いのSIer」と呼んでいた)の社内カンファレンスにお呼ばれし、話をしてきました。この社内カンファレンス、元をたとれば私が当時の仲間と拵えたもので、ボトムアップからいきなり立ち上げた、社内ではちょっとした名物イベントになっていたのでした。内容は各回テーマを決めて、社員が技術話や経験談を語るものでした。私が在籍している間に3回開催し、その後は長らく途絶えていたのですが、自分たちなりにリビルドして立ち上げ直した若者たちがおり、最近になって活発に開催されるようになっていたのでした。
「元社員にこんなのがおったよ。何を考えて、何をし、いまこうしているよ」そんな話をして欲しいと依頼をもらい、辞めて久しい私にいまだ声をかけてくれる同朋に感謝し、一も二もなく快諾しました。自分が元居た場所に、何かおみやげを持っていけないか。何を置きに帰れば良いか。しばし考えた末、こんなことを伝えるべく、話をしたのでした。
続きを読むこれからの書店に期待すること。
年末の大掃除にうちになる書籍の数を概算見積してみると、ざっと一千冊。年末になると問題がクローズアップされるのが、この書籍の保管場所。居間の侵食激しく、年を経る度に深刻化しておりました。。
というわけで、唐突ですが電子書籍素晴らしいです。土地問題一気に解決。今までは洋書はKindle、和書は紙で、という読み方をしていたのですが、土地問題に悩むくらいなら全部Kindleで良いですね。わざわざこまめに本屋に行く必要もないし、おまけにコストまで安いという。書店好きではありますが、これはさすがに現在の延長線上に今の書店の形があるのかというと疑問。書店が果たす役割はむしろ変わって行って欲しいと思うのであります。
これは事実なんだろうけど。これで終わってしまうと、アドラー的にいえば書店が変わらない理由を消費税のせいにしているだけだったりして。
生きるために、越える。
世の中には様々な境界があり、それによって個別が生まれ、成り立っている。境があるからこそ、認識・理解できる範囲を絞り込める。その中で何をすべきかわかりやすくなる。
境の外側に踏み出した時は、何がおきるのかすら分からない。外側には不確実性とリスクと危険が待ち構えている。内側にいればおおよその予測ができ安全だ、といえるかもしれない。
本当にそうだろうか?本当に内側は安全なのか。内側こそが自分の住むべき場所だと、いつ自分で決めたのだろうか?
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